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なんか仕事先で、沖縄の農家が送ってくる泡盛を毎年貰っててですね、基本家では飲まないんで、去年の分持ち越したりしてて、3本ぐらい家に溜まってたんですよ。
それで、飲んでみようと思って。飲みながらアマゾンプライム見てたりしてて、そうするとだんだん、休みの前の日になると、酒が飲みたくてたまらなくなってくる。
で、飲んで、寝る。起きた後は、少し出かけたりはするんだけど、だんだんしらふでいるのが面倒くさくなってくる。
今の仕事は夜勤だし、昼も夜も無いようなものなので、日の出てるうちから、深夜まで飲む。この前の連休は特に酷かったです。
酒は量飲める方では無いんだけど、もともと依存体質なんだろうなー。
小田嶋隆「上を向いてアルコール」を読んでたら、アル中は量の問題では無い、ということが書いてあって、で、疲れは取れないし、鬱っぽくなってきて、この先良いことは一つもない、って考えになってくるし、何よりダメなのが、何もできなくなってくること。
結局、3本目の瓶に3分の1ぐらい残ってたのを捨てて、家で一人で飲むのはやめよう、ってなったんですけど、けっこう危なかったと思います。
体を壊すって、酒の問題の本質ではなくて、生活習慣の崩壊が一番まずい。
生きていることは面倒くさいことですが、少しずつでも人生が進展している、という実感があるから、人の精神はなんとか持っているのであって、酒で生活が崩壊して、進展の実感が無くなると人は、簡単に鬱になると思いました。
で、なんでこんな事を書いたかというと、吾妻ひでお氏が亡くなったからです。
掲載した動画に出てくる吾妻ひでお氏、衝撃のシャイさで必見です。
合掌。
中島らもと喋った話
中島らもと喋った話を書く。
18歳ぐらいの頃、生きている理由がなかったので、ライブのチケットを買って、そのライブに行くまでとりあえず生きる、ということをしていた。
それで、大阪心斎橋のサンホールだっけな、なにせ地下の店、そこで、当時片っ端から読んでいた中島らもと町田康が一緒にライブをするというので観に行った。
作家二人のジョイントライブだったからか、今思うと変な観客席だった。フロアの後ろ半分は椅子が出ていて、前半分は立ち見、でもそこで観客は全員体育座りをしていた。
中島らもは、60代にも10代後半にも見える、細い服を着たホームレスっぽい人で、優しそうだけどガラが悪そうだった。大所帯のバンドで、豚はキレイ好きだから嫌いだ、みたいな歌を歌っていた。
体育座りの客のテンションと、中島らもの存在感のギャップが変な感じだった。所在のなかった僕は、体育座り勢のすぐ後ろ、椅子席の真ん中に通っている通路の部分で、ビールを飲みながらゆらゆらしていた。
ゆらゆらしていたら、常連客っぽい、金髪長髪のお姉さんが近づいてきて、ほっぺたをつままれた。
「いや、なんか気持ちよさそうに踊ってるなー、と思って」
おお。
町田康と中島らもの本がすごい好きでー、と言ったら、お姉さんは、うちは断然INUの、町蔵のイメージやわー、と言った。
「それにしても、この客辛気臭いなー、全員体育座りで」
「そーっすよねー、辛気臭いっすよねー」
バカで童貞の僕は、慣れない女性との会話に完全に舞い上がってしまい
「ちょっと前で見てきます!」
と言って、体育座りの客をかき分けかき分けして、中島らもの真ん前に立った。子供の頃からの悪い癖で、テンションが上がると、周りと真反対の行動を取ってしまう。
しばらくかぶりつきで見ていると、曲が終わった。
一呼吸置いてから
「君はぁ、・・・何や?」
中島らもがマイク越しに喋りかけてきた。
「えっ、あの、お近づきになりたくて・・・」
ろくな応答なんかできるはずがない。
「お近づきになるのは後でしたらええけどな、そこで立っとったら後ろの人が見えんやろ」
「はい・・・」
僕はシュン、として、体育座りの客の間に尻をねじ込んだ。
でも、僕の軽はずみな行動が、会場の空気の微妙なバランスを壊したのかもしれない。次の曲の演奏中に、会場の後ろの方から、聴いたことのないようなものすごい怒声が聴こえて来た。
振り返ると、誰かが客席の椅子を持ち上げて振りかぶっている。
なんだあれは。頭の処理が追いつかない。椅子の男から少しでも距離を取ろうと観客が前に押し寄せてきて、ステージの段差との間に足が挟まれる。痛い。怖い。
すると頭の後ろから、中島らもの怒鳴り声が聞こえてきた。
「おぉい!!」
もう一度。
「おぉぉい!!!!」
中島らもは、暴力的な手つきで、左の腰につけていた、革製のホルスターのようなものから何かを取り出し、フロアに向けてかざした。
刃物だ。
メリケンサックの殴る部分にナイフの刃がついた、名前はわからないがとにかくやばい凶器、それが、ライブハウスの照明を受けてギラギラ光っている。なんでそんなもの持ってるんだ。
一瞬女の人の悲鳴が聞こえ、それから会場は静まり返った。
その場にいる全員が、中島らもを注視している。
「俺はなぁ、執行猶予中なんじゃあ!!!!」
と、中島らもは叫んだ。
中島らもといしいしんじの対談本に、コント劇における笑いについて話すくだりがある。
街中で凶暴な男が、叫びながら何かを振り回している。ギョッとして見ると、男が振り回しているのは大根で、その緊張と弛緩の落差のすさまじさに吐きそうになった、という話を例に出し、コントにおいては、この落差が笑いを生む、と語っている。
中島らもは、パニック寸前の緊急事態において、その技術を実践してみせたのだった。
その場の全員が、極限に達した緊張状態からの逃げ道を求めていた。だから皆笑った。
笑うしかない。僕も笑った。
そのあと、会場に充満した極度のフラストレーションは、もう一つのはけ口を得ることになる。
ステージ上に、掃除道具入れほどの大きさの、ツギハギの段ボール箱が台車で運ばれて来た。郵送の送り状がついていて、「なんやねんなこれは」と中島らもがわざとらしく驚きながらサインをしている。「着払いちゃうんけ!」と客席からヤジが飛ぶ。
すると、段ボールからカッターナイフの刃が突き出て来て、内側から箱を切り開いた。
町田康だ。本物の町田康だ。伝説のパンク歌手、『告白』出版前後の、一番色気がやばかった頃の町田康が、二つに割れた段ボールから現れてきた。
そこから先の記憶は曖昧で、爆発したように盛り上がる会場の景色を、断片的に覚えているだけだ。
先に会話した金髪のお姉さんは、履いてたヒール投げ捨てて突撃したわー、と笑っていた。
町田康は新聞に、暴動のようになった観客を前に、らも氏は、ギターのネック部分で私を守るようにして立っていた、と書いていた。
ライブの一ヶ月後中島らもは亡くなったが、その時のライブの様子は、没後リリースされたCDとDVDに収められている。
D-sub25アナログマルチケーブルの自作
(mogamiの柔らかいケーブルをこのようにクリップで挟むと、傷だらけになってとても嫌。)
その後縦にも切れ目を入れて、切り開く。
MOGAMIのケーブルの皮膜は柔らかいので、皮膜を完全に切断せず、半分ぐらいの深さで切れ目を入れれば手で開くことができるし、中の配線に傷も付かない。
中の紙をめくり、ノイズ取りの絹糸もまとめて切断。
中から8チャンネル分のケーブルが出てくる。
重要なポイントとして、D-subコネクタは横に広いので、ケーブル束を扇状に横に広げて半田付けすると、外側にあるケーブルの長さが足りなくなってしまう。
そのため、横に広げた時のケーブルの先端を一直線上に切りそろえて、D-subコネクタにきれいに半田付けできるようにしてやる必要がある。
切断する長さは、真ん中付近の4、5チャンネルで3mm、そこから3、6チャンネルで2mm、2、7チャンネルで1mmってな感じだったような気がするんだけど、そんな数字いちいち覚えてないし、あんま信用せずに現物あわせでちょっとずつ様子を見ながら切っていってください。
うん、まあこんなもんだろ。
(ま、ベルデンのマルチケーブルとかだと、かなり長めに切った上で余った分を曲げまくってカバーの中に詰め込んでいたし、ここまで丁寧にやらんでもいいのだろうけど。)
次は各チャンネルのケーブルの下処理をしていきます。
MOGAMI2932の場合、ストリッパーのAWG14のとこで切れ目を入れて(切れ目だけ。引っ張っちゃダメ)、ラジオペンチで引っ張るとキレイに剥ける。
裸のグランド線と、外側のワイヤーメッシュをねじって束ねる。
D-subコネクタのカップ端子は狭いので、写真のように先を尖らせると入りやすくなる。
「細くなれ細くなれ細くなれ〜〜」って念じながらねじるのがコツです。
まあでも無理にワイヤーメッシュも一緒に束ねる必要はないかもしれんのう。
ホット、コールドの線も剥いて(AWG26)、グランド線とともに予備ハンダ。
ハンダをつけすぎるとカップ端子に入らなくなるので注意。
熱収縮チューブを買い忘れたので、グランド線には絶縁テープを巻いたのだけどこれは失敗だったなあ。
ハンダごての熱でテープが剥がれるのが大変厄介。
下処理完了。あー疲れた。
1chから8chを順番に半田付けしていく場合、(13番ピンをとばして)25番ピンをスタートに、(1chの)グランド→ホット、左右ひっくり返してコールド→(2ch)グランド→ホット、ひっくり返してコールド→(3ch)グランド→ホット・・・という感じになります。
リズムに乗れれば割と楽にできるけど、万一つけ間違えると、小さいカップ端子から半田を外すのは至難の技なので、くれぐれも慎重に。
XLRケーブルを作ってた時は「あー半田付け楽しいなーもっと半田付けがしたいよー」って感じだったけど、これはきつい。
人から頼まれたとしても、作業料¥5,000だと迷うなー。
¥10,000でなんとかかなー・・・完成品が高いわけだ。
できた。
根元を絶縁テープでまとめてますが、これも熱収縮チューブを使ったほうがキレイに仕上がります。
ヒートガンが高くて買おうかどうか迷っちゃうんだよなあ。
コネクタカバーを組み上げます。
慣れてくるとここまでで2時間ぐらい。
片方を組み上げた時点でMPが切れるので、1本作るのに2日かかる。
ケーブルは4本必要なのでここまでの作業を8回繰り返さねばならない。
うぐぐ。
そして・・・
動いたー!!!!!!!!!!!!
うっひょーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!!!!!!
今回作ったのは2m×4本で、材料費が大体3万円。
コネクタカバーが良いやつだったり、ケーブルの長さの違いを考慮すると、完成品の大体半分以下の値段で入手できたことになる。
作れるんなら自作したほうが得っちゃ得なんだけど、わりとしんどいからあっさり完成品を買うのも全然ありだなーと作ってから思った。
まあでもけっこう面白かったし良しとしよう。
出番待ちのケーブルを束ねると、ネイティブアメリカンのお守り、ドリームキャッチャーに見えなくもない。
ケーブルの自作
音楽機材用のケーブル、出来合いを買うとすごく高くなっ
ケーブル類ってどれがいいのか調べても調べても絞り込め
音質の微妙な違いとかどうせわからないけど、劣化するの
左上から時計回りに
・こて台+クリーナー
・材料を挟んで固定するクリッパー(モビルアーマーみたいでかわいい)
・ノイトリックのフォーンジャックとキャノンプラグ
・ケーブル(ベルデン88760/機材用 モガミ2534と迷った)
・ケーブル(ベルデン88770 88760の3芯版でスピーカー用)
・こてカバー
・ハンダごて(白光 FX600 温度調節機能付き)
・交換用こて先(白光 4C型)
・ハンダ吸い取り線
・ハンダ(日本アルミット KR-19 SH RMA LFM-48 ケスター44と迷った)
・ストリッパー
・絶縁テープ
・ケーブル用通電テスター(ベリンガー CT100)
・カッターマット(A3 下に敷いている)
半田付けをするのは以前リハスタでバイトをしていた時、閉店作業中にマーシャルのヘッドアンプを誤ってキャビネットの上から落とし、電源は無事ついたもののパッチケーブルのジャックがひん曲がってしまい、このままではバレる、と思い店にあったギターシールドのジャックをこっそり半田付けしなおして証拠隠滅した時以来なので、動画を集めてイメトレをした。
半田を流し込んだあと、コテをあてがったままちょっと待って馴染ませるのがコツっぽい。
ではやっていきます。
Belden 88760は2芯なので、普通に1番ドレイン線(アース)、2番赤(ホット)、3番黒(コールド)でいいんだけど、88770は3芯だったので、いろいろ調べた結果
オス(モニスピのパワーアンプ)側:1番ドレイン線+青、2番赤、3番黒
メス(インターフェイス)側:1番青、2番赤、3番黒
(参照:価格.com - 『BELDEN 88770のXLR端子でのシールド線処理は?』 AVケーブルのクチコミ掲示板)
という形で行くことに。
で
スピーカーケーブル×2
パッチケーブル×2
フォーンケーブル×2
が出来た。
ケーブルを自作するとき、ハンダ付けする前にケーブルに通しておかないといけない部品があって、それをつけ忘れるというお約束のミスがある。
自作の方法を載せているところには必ず書かれていたけど、まさかやらねーだろそんなこと、と思っていたら2回もやらかして地獄を見た。
ハンダは付けるより外す方がはるかに大変だった。
(1番と2番を逆につけるのも1回やった。)
特に重要だと感じた工具は、交換用のハンダごてのこて先で、最初から付いている円錐形のやつを使うと無駄にハードモードになるので、ケーブルを自作するときは4Cタイプのやつを買っておいた方がいいと思う。
逆にイマイチだったのはモビルアーマーっぽいクリッパーで、ケーブル自作に使うには重量が足らず、結局テスターにプラグを突っ込んだ状態で作業した。
テスターで固定している人も多いらしいけど、熱で壊れたら嫌なので次回は小型のバイスを用意しようと思う。
音質はクリアでマッシブで艶がある感じで、体のでかい黒人の音楽、例えばミドルスクールヒップホップなんかには大変合う。次点でモーグシンセサイザー。
クリア過ぎて質感に欠けるところがあるので、サイケロックとかはまあ、そこそこな感じだ。
ミスさえしなければケーブルの自作自体は難しいことではなかった。
特殊なものでない限り、出来合いのケーブルを買うことはもうないと思う。
ギークハウスとストラディバリウス(再掲:2011年夏頃)
ギークハウス京都は古い町屋である。
室内は改装済みなのでとっても綺麗なのだが、僕の個室である2F、ガスコンロの真上の2畳半ほどの部屋。
両手も広げられない幅の、西側の壁。
(この部屋で昼寝をして目醒めると、西日のせいで必ず脱水症状を起こすのだ)
その一面に作り付けられた窓から見える、一面のトタンとガタガタの瓦の上に、乱暴に溶接された物干し台が乗っかっているその景色は、ストリートビューで見たヨーロッパの古都と比べても、ちょっと遜色ないほど、古い。
そして湿気対策だろう、隙間の多い作りになっており(冬場はそこから湿った冷気が流れ込み続ける)有職者の方々の週末をぶち壊したこの台風によって、今も、重い窓が引くほど大きなガタガタ音を立てている。
そして、内外共に音が非常によく通る。
(さっきも明らかに何かが吹っ飛んだ音が聴こえてきた)
だがよく耳を澄ますと、家鳴りのような軋み音がほぼまったく聴こえないことに気付いた。
古い建造物であるため、骨組みに使われた木材の継ぎ目が完全に馴染んでいて、軋み音を立てる余地がまったくないのだ。
逆に、窓などの固定されていないパーツは、今日のような大風が吹くとことさら激しく揺れるし、そこで生じた音も軋みによって吸収されないため、よく通る。
同じことがバイオリンにも言える。
バイオリンは、本体の出来不出来を無視すれば、基本的に古ければ古いほど音が良いとされており、価格も上がる。
ストラディバリウスがあれほど高価なのは、300年ほど前、今のバイオリンの形が成立した頃に作られた、世界で最も古く、最も軋みの少ないバイオリンだからだ。
また、300年という時間に耐える堅牢さも、ポテンシャルの高さを裏付けている(2年に一度、スチームで膠を溶かし、メンテをするそうだ)。
現在、ギークハウス京都と同じブロックにある町屋の一軒が取り壊し中だ。
作業は終盤に差し掛かっていて、地面の上に骨組みだけが残された状態となっている。
だが雨に濡れ、黒く湿ったその構造物は、マーティン・バースの椅子のように堅牢そうに見えた。
Let'sNote CF-W5 SSD換装&UbuntuでUDMA2病治療
HDDが壊れて4年ぐらい放置していた古いノーパソ、Panasonic Let'sNote CF-W5を、SSDに換装、修理して、このブログを書いています。
分解修理には、このページを参考にしました。
分解には、ホムセンのドライバーセット、両面テープ、マスキングテープ、ピンセット、小型のラジオペンチなどを使いました。
マスキングテープをマクバって
外したネジをなくさないように止めていきます。
キーボードが両面テープで止めてあるので、ドライバーセットに入っていた釘抜き的な形をしたやつを使ってひっぺがします。
そこからさらに、あれやこれや外していって
病巣摘出。
で、こちらが新たに載せ替えるSSDです。
CFD販売 SSD 2.5inch IDE接続 128GB CSSD-P128WJM
- 出版社/メーカー: シー・エフ・デー販売
- 発売日: 2014/07/07
- メディア: Personal Computers
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取り付けていきます。
ネジは外すより止める方が大変です。
つけ忘れた部品が見つかりました。
うひー。
キーボードの両面テープを貼り替えます。
うまくつきました。
バッテリーをはめて
動いた!うひょー!
で、ここからが問題。
載せ替えたSSD、現行品はLet'sNoteと相性が悪く、そのままでは性能をフルに発揮できません。
Windowsだとまともな解決策もないみたいみたいですが、Ubuntuならどうにかなるっぽい的な記事を見つけました。
ゆるりとものづくり: Let's note CF-W2 SSD化 大改修計画 (OSインストール・UDMA2病発症 編)
ゆるりとものづくり: Let's note CF-W2 SSD化 大改修計画 (OSインストール・UDMA2病治療 編)
Linux OSなんて触ったことないですが、まあ、どうにかなるじゃろ。
やっていきます。
「Vimって何?」「須藤って誰?」となりながら、コピペを繰り返し
読込速度が68.47MB/secに。
正直上手く行くとは思わなかった。
あと、Let'sNoteには、円形のトラックパッドの外周部分をくるくるして画面をスクロールする機能があるんですが、それも導入できるっぽいのでやってみました。
Let’s Noteホイールパッド設定でスクロールを有効化する | Do-you-linux!?
写真じゃ説明しづらいですが、とにかくできました。
ピアノ調律と禅とか
今日はピアノの調律の日だったんだけど、調律師さんがとても腕の良い方で、また話も面白く、大変勉強になりました。
ピアノの調律、理屈で考えれば、チューナーさえあれば誰だって出来るような気がするけど、調律というのはそこから先、「正しい音」を超えたところにある「良い音」を、ピアノの個体差や、音楽家のニーズをふまえて作っていくのが主な作業っぽかったです。
例えば、調律の起点になるA4=鍵盤の真ん中らへんのラの音は、だいたいの場合、440Hzにチューニングされます。んで、周波数は1オクターブ上がると2倍、1オクターブ下がれば1/2になるから、理論的には、一つ低いラ=A3は220Hzだけど、(うちのピアノの場合?)そこを0.1Hz下げて、219.9Hzにした方が、トータルで見た時に良い音で鳴ってくれるらしい。
ピアノの構造的限界や、弦の状態から、理論値との小さなズレが発生して堆積する、それをピアノ全体に均してやって、そこから、サスティンの長さや音色を調節し、さらに和音、5度和音(例:ドとソ)なら澄んだ音、4度和音(例:ドとファ)なら明るい音、という風に、音を作り込んでいく。
そのためには「良い音」というビジョンを持っている必要があり、また良い音にするための最適解を導き出す勘も必要で、そこらへんが職人のアレ的なやつなんだろう。
職人やばい。
話は変わるけど、先日NHKBSでやってたコンテンポラリーダンスの振付師、ピナ・バウシュのドキュメンタリー(監督ヴィム・ヴェンダース)が大変面白かったです。
氏がダンスで表現しようとしていたものって多分、「愛」とか「男女関係」とか「人生」なんかの、言葉にすると至極普通かつ退屈な観念なんだけど、実際にそのダンスを見ていると、言葉では拾いきれない、なんとも言えない心地よさ、おかしさ、嫌な感じなどがふんだんに盛り込まれていて、現実世界とそれを知覚する生き物の脳みそに対して、言葉ってのはまったく不完全なものなんだなー、ということがありありと分かります。いや、僕の語彙が貧困すぎるだけなのかもしれませんが。
なんでこんな話をしているかというと、ここ最近、芸術作品の構図、色合い、テクスチャ、はたまた和音、コード進行、音色なんかで、人間が色んな気持ちになるのって、よくよく考えるとすげーヘンで面白いなー、と思っているからで、批評家の真似をして作品を言語で解釈しようと無理していた美大時代には、あまり楽しめなかった美術館が、最近はとても楽しい。
あと鈴木大拙や茂木健一郎の本を読んでいて、言語や論理を介さず、ものごとから受けた印象、感覚をそのまま楽しむ、というのが禅とかクオリアとかの話につながったりするのかなー、とか思いました。
言葉や論理は、現実世界の極々一部でしかなく、その向こうにあるぼんやりした感覚的な広がりを自分の中心に据えたほうが、人生は楽しく、ピアノは良い音になるのかもなーと思いました。
Pina (2011) - Official Trailer [HD] - YouTube