ピアノ調律と禅とか

今日はピアノの調律の日だったんだけど、調律師さんがとても腕の良い方で、また話も面白く、大変勉強になりました。

 

ピアノの調律、理屈で考えれば、チューナーさえあれば誰だって出来るような気がするけど、調律というのはそこから先、「正しい音」を超えたところにある「良い音」を、ピアノの個体差や、音楽家のニーズをふまえて作っていくのが主な作業っぽかったです。

例えば、調律の起点になるA4=鍵盤の真ん中らへんのラの音は、だいたいの場合、440Hzにチューニングされます。んで、周波数は1オクターブ上がると2倍、1オクターブ下がれば1/2になるから、理論的には、一つ低いラ=A3は220Hzだけど、(うちのピアノの場合?)そこを0.1Hz下げて、219.9Hzにした方が、トータルで見た時に良い音で鳴ってくれるらしい。

ピアノの構造的限界や、弦の状態から、理論値との小さなズレが発生して堆積する、それをピアノ全体に均してやって、そこから、サスティンの長さや音色を調節し、さらに和音、5度和音(例:ドとソ)なら澄んだ音、4度和音(例:ドとファ)なら明るい音、という風に、音を作り込んでいく。

そのためには「良い音」というビジョンを持っている必要があり、また良い音にするための最適解を導き出す勘も必要で、そこらへんが職人のアレ的なやつなんだろう。

職人やばい。

 

話は変わるけど、先日NHKBSでやってたコンテンポラリーダンスの振付師、ピナ・バウシュのドキュメンタリー(監督ヴィム・ヴェンダース)が大変面白かったです。

氏がダンスで表現しようとしていたものって多分、「愛」とか「男女関係」とか「人生」なんかの、言葉にすると至極普通かつ退屈な観念なんだけど、実際にそのダンスを見ていると、言葉では拾いきれない、なんとも言えない心地よさ、おかしさ、嫌な感じなどがふんだんに盛り込まれていて、現実世界とそれを知覚する生き物の脳みそに対して、言葉ってのはまったく不完全なものなんだなー、ということがありありと分かります。いや、僕の語彙が貧困すぎるだけなのかもしれませんが。

 

なんでこんな話をしているかというと、ここ最近、芸術作品の構図、色合い、テクスチャ、はたまた和音、コード進行、音色なんかで、人間が色んな気持ちになるのって、よくよく考えるとすげーヘンで面白いなー、と思っているからで、批評家の真似をして作品を言語で解釈しようと無理していた美大時代には、あまり楽しめなかった美術館が、最近はとても楽しい。

あと鈴木大拙茂木健一郎の本を読んでいて、言語や論理を介さず、ものごとから受けた印象、感覚をそのまま楽しむ、というのが禅とかクオリアとかの話につながったりするのかなー、とか思いました。

 

言葉や論理は、現実世界の極々一部でしかなく、その向こうにあるぼんやりした感覚的な広がりを自分の中心に据えたほうが、人生は楽しく、ピアノは良い音になるのかもなーと思いました。

 


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